代表者の略歴
荒井章 詩人(あらかみさんぞう)


著書  詩集 暗夜飛行(詩風社)  悩む人へ(VOICE出版)
 翻訳詩集 ルーミー愛の詩(ナチュラルスピリット社)
      詩人 ルーミーとは

 マーケティング概論(共著)広告総論(ダイヤモンド)

1958年 早稲田大学第一文学部卒業
1958年 株式会社電通入社 クリエイティブチーフデレクター、事業部長など歴任 1996年 定年退職
1975年〜1998年まで23年間 東海大学文学部広報学科 講師、特命教授
2006年 玉縄城址まちづくり会議 設立
2008年 鎌倉世界遺産登録推進協議会 意見交換実行委員長。

あらかみさんさんぞうの詩作品集



ベテルギウスと花の死


まだ息をしているらしき落ち椿
ペテルギウスも死にゆくものか

ある日を境に椿の大木は一斉に落花を始めた
庭の一隅が白い花に覆われる
一つ一つの花弁をみると落下して暫くは荒い息をしている それから深い息遣いになる
やがてひっそりと息絶える 小さな生の種子を残して

星の最期は壮絶な超新星爆発を伴う
それは星の死の瞬間のきらめきである
ベテルギウスは70光年もある星屑の花びらになって飛び散っていく
それは潔い星の終わりであり あたらしい星の始まりでもある

星の死 花の死
そして人の死は一つのものであろうか
だが人はまだ星が教えるような人の死を死ねない花が教える花の死のように死ねない
人はただ愛をかなしみ哀しみをかなしみ泥のようにもがいて生きて死ぬことしかできない

夜 庭一面の落ち椿が
月光に照らされている
それは渚に打ち寄せるさざ波のように見える
ペテルギウスの放つ惑星状星雲の死と生の輝きのようにも見える

*詩誌「詩風」より
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宮本武蔵がゆく  一乗寺下り松


武蔵が
歩いている
一乗寺下り松
そこに吉岡一門が待つ

九分九厘死ぬと
分かっている
だが
そこへ行く

やってみなければ
分らない
生と死の狭間で一人一人に向い合う
そこに活路があるかも知れない

どっちにせよ
ひとの言いなりにはならない
でなければオレはオレじゃない
これがオレなんだからしょうがない


かなしみを力に
いかりを智慧に
言葉はいのちに導かるべし

師はいない
武芸者であった狂気の父無二斎から仮借ない剣の手ほどきを受けただけだ
不羈の子は母が離縁され継母が家にきてから父への憎悪を決定的に脹らませていたのだ
その日父は激しく反発する子に小柄を抜いて投げた
あっさり躱して片頬で嗤ったとき父はついに逆上しておどり掛かった
組み敷かれた身体を振りほどくと子は縁から飛び降りそのまま走った>
どこまでも走りつづけた
暗い空の下 森をさまよい 森に抱かれ 森で目覚め
無二斎の剣を捨て
森の霊気のなかで息絶えるまでと木刀を振った
不意に自得するものがあった
死を覚悟したそのときに働くいのちの智慧にすべてを委ねる自在の剣

一月後に森を出た 
もうオレに父母はいない 師はいない 家はない 何も持たない もうオレは誰でもない
オレの剣に師はなく流儀はなく礼法もなく一切の決まりごとにも捉われることもない
自分の目で見て自分の手で触れて自分の身体で流す血と汗しか信じない
生きるための手段をけっして択ばない
常に対象との間合いをつめそこに居着くことなく絶えず変化して先をとる
どんな悪条件もそれを戦いの機として活かす瞬時に俯瞰して見切る意表をついて斃す
死の水際を走るとき最終答案は用意される
オレが誰なのかそのときわかる オレはまだ誰でもない

十三歳 新当流の有馬喜兵衛を打ち殺した>
十六歳 但馬の国の強力の兵法者秋山某を打ち殺した
十七歳 関ヶ原の敗軍宇喜田勢のなかにいて生き残った
落武者狩りの野武士を斬った
森の頭目辻風典馬 黄平を斃した
真剣をもって立合う者がどう動くのかを見た
切っ先の一寸を見切る身体の感覚を身に着けた
人が何を恐れ
何に怯えどう絶望するのかを見つめた
生と死の狭間でどのように人が己を制御し制御できなくなるのか
与えられた答えだけに囚われた人々がどのようにあがき死んでいくのか

答えは一つじゃない
行き詰ったら
それは展開の一歩にすぎない

一対一で向かい合う生死の刹那刹那が答えを孕む
二十歳 鎖鎌の宍戸梅軒を二刀で斃した そして
二十一歳 京の西洞院の足利将軍指南役室町兵法所 当主吉岡清十郎と蓮台野で決闘し
清十郎を待たせに待たせ動揺を見切って琵琶の木刀を振い打ち斃した
その復讐を挑んだ弟伝七郎には 意表をついて素手で立合うや懐に飛びこみ左手の拳で
顔を殴りつけ右手で木刀を奪いとり片手で振り上げ頭蓋を粉々にした

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総掛りで
武蔵を討たねばならない
吉岡道場筆頭の植田良平がいう
必ず殺さねばならない きれいごとを言うべきではない 手段を選んではならない
立会人はいない 誰も見ているものはない
当主吉岡清十郎を廃人にされ弟の伝七郎殿をも斃され
我々はもう元には戻れない
武蔵なしには先へ進めない
残された一門の手で武蔵を討ち取るしかない
奮い立った吉岡衆のひとりがついに仇討ちを果した
吉岡道場健在なりと宣言する
武蔵の首は 五条大橋に晒さねばならない

一乗寺下り松
仇討ちの思いが群れている
一門の存在理由を自らの存在理由として
傘松の根方に清十郎の子又七郎を仇討名目人として陣を据え
筆頭の植田良平 多賀谷彦造らがこれを取り囲むように固めている
吉岡十剣の東紅四郎 田村十蔵 堀川善兵衛 小橋蔵人らは下り松に集まる三叉路
叡山雲母坂からの道 修学院の道 瓜生山からの道筋に七つの群れをつくり
焚火を囲んでいる 放ってある下見はまだ誰も武蔵の姿を捉えていない
月光が巨大な傘型を黒々と浮き立たせている 寅の刻前である

武蔵は
すでに来ている
南禅寺裏山の杣道から夜の山に入った
地獄谷に降りふたたび谷の南斜面を上って
検分してあった瓜生山中腹の樹林を移動しつつ山麓にひろがる
七つの焚火を囲む布陣を視認している
七〇まで数えた
七〇人か

これは
果し合いとはいえない
待っているのは
嬲り殺しのための群れ
跳びこんでいくのは単なる無謀である
仮に回避したとしても
評判を落とすこともない
京ですでに名前を挙げ武名は広がっている
いまさら仇討ちの一党と戦うまでもない
破れたらすべてが終わる
命の捨て場になる
それでも行くのか
行かねばならないのか

しょうがない
やってみなきゃわからない
死んでみなきゃわからない
答えが無限にあるにちがいない
この好奇心にはどうにも勝てない
勝算はないのかー
不敵な笑みが浮かぶ
理知において勝算などはない
ただ
そのとき理知の計算を離れ 自分を突き放したところへ飛び込んで
自分自身の運命を見出し 自分自身の発見と自分自身の創造を賭ける
結果が生であろうと死であろうとそれ以外に生存の理由のあるはずもない
消えるのか現れるのか その生死の間際を生きるしか生き方を知らない 知る必要もない

信長も家康もそうではなかったのか
人間五十年化転の内をくらぶれば と敦盛を舞い
死のうは一定しのび草には何をしようぞ と小唄を謡い
信長はどうみても勝てる見込みのない桶狭間に突っ走ったではないか
三十一のときには好戦的な家臣たちに誰一人主戦論がないのを押し切って
家康は圧倒的な武田信玄の待つ三方ヶ原に撃って出たではないか
信長との同盟というぼろ縄であえて己の理知を縛り
突き放されたところに己を放り込んで自己の発見と創造を賭けたではないか
(そして大敗北を喫したがそんなことはどうでもいいことなのだ)

生きていくことには
死ぬことも含まれているのだから
自分が死ぬことになってもそれはそれで仕方がない
ただ理知の計算が及ばない絶体絶命の場で
このいのちがどんな答えをだすのか
自分をどんな直観で満たすのか
そのとき一個の生がどのように巨大な生の反照を受けるのか
我が身を賭けて確かめたいと思う
足利将軍家兵法指南所吉岡道場御一党
死ヌ場所ハ生キル場所
我コトニ於イテ後悔セズ
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武蔵は来るのか
一門には疑いもある
逃げたのではないか
来るとしても遅れてくるのではないか
過去に二度とも法外に遅れてきて利を占めている
その手にはのらない どのみち全員で立ち合うのだ 焚火に手足を温めておけ
夜明けにはまだ間がある

だが武蔵は
もうそこにいた
吉岡一門がくる前からそこにいた
瓜生山樹林から麓に展開する群れの背を見ていた
七組に分かれている群れの一人一人を見つめていた
その一対一の間合いを
測っていた

点がある
群れには必ず点がある
点を灯りに群れが群れて渦巻をつくる
その点を消せば
どうなる
暗闇になる
一瞬 渦がとまる
あらたな点が点灯されるまで
群れは無力化する のではないか
その停止と復元の間の短い空白を次への移動に使える のではないか
群れの灯りを次々に消していくために

武蔵は革袴下緒の襷額の汗止め柿色手拭に手を触れる
草鞋を通して足裏に届いてくる感触を確かめる
地を踏み込む地を捻る地の力を感受する
足首が柔らかい
太腿が温かい
手首が柔らかい
鍔先三尺八分の太刀の重さ
瞑目して四肢を点検する 
筋肉を硬くするのは気負い 
関節を柔らかにするのは自信
精神をしなやかにするのは力量

猫科の獣のように
群れに近づく
競技歌留多の選手のように
全身を耳目にする 反射神経を研ぎ澄ます
例えばsの音の出の間際でsのその先を聴きとる 見切る 
そのsとはつまり 白露に風の吹きしく秋の野は の白露のsか
否 忍ぶれど色に出にけりわが恋は の忍ぶれどのsか
その先を聴くか聴かぬか
生死を分ける0コンマ00の未来予知
身体という弦の震えのsの出の瞬間 武蔵はその動きを読み太刀を浴びせる
川上哲治はボールが止まって見えると言う 武蔵は相手の動きをスローモーションで見る
吉岡一門が見られている群れの点が見られている
sもtもmもwもその出方が読まれている

もう寅の下刻か
一の太刀植田良平は
放ってある先触れの知らせを待って内心の焦りを隠している
来るのは夜明けか
それとも陽が上がってか

だが そのとき 
猫科の摺り足が
間合いを見切って止まった
地を踏みしめる>
バネを絞る
跳躍する
のかと>
思ったらそっと動いた 
>
肩先に囁く 
「吉岡どの武蔵である」
名目人七衛門が見上げたとき>
その首は飛んだ
植田が太刀を抜く前に>
袈裟がけにする
反転して
棒立の
胴を払う
頭頂を割る
驚愕に見開かれる植田の眼 立ち上がろうとして崩れ落ちる膝
声を失う面々 
闇のなかに立つ武蔵五尺八寸五分
自信は見られることから
驚嘆の眼で見られることから

戦慄の眼で見られることから生まれる それが身をしなやかにする 心をやわらかにする
鬼を鬼にする

群れの動揺が怒号に変わったとき
武蔵はもういない>
樹間の闇を
疾走している
群れの動きを鳥瞰している
帰納し演繹して直観がその先を走っている
己の拍動を確かめている逆流する血を慰撫している
摺り足を地に這わせている地の力を足裏から体内に受けいれている
不意に止る振り返る怒号し追走してくる先端の一人にこっちから突進する
東紅四朗に一瞬の戸惑いが疾るもう間にあわない胸元に激突され一刀で斃される振り向き ざまついてきた一人を払う真横からくる一人を逆刀で突き抜く退路を塞いでいる一人に跳 び込む肉を斬る骨を断つ今が過去になる過去が次々に今を追いかける次々に今がきて次々 に今が過ぎ今に留まってはならない何十もの刃に晒される摺り足で地を掴み音もなく地を 走れ次の点へ次の点へまた次の点へ詰めて退き退いて追う前後左右へ答えは一つじゃない 地の力森の霊気を受け一対一に誘え一対一に向き合え今というimaのiを走れ無常に 変化しつつあるimaのiを読みimaのiを斬れimaのiに命を預けimaのiに 変化せよimaのiを生きよimaのiに念を込めimaのiを存分に生きよimaのiが 導きimaのiが太刀筋を決めるimaのiを呼吸せよimaのiに没入せよ過ぎ行く今を追 いかけてはならない過ぎ行く今を惜しんではならない答えは一つじゃない
答えは決して一つじゃない

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鉛のようにからだが重い 
だが気負いはもうない 
鞴のように息が荒い 
だが規則正しい
オレにはもう
区別がない
阿修羅で
不動で
鬼で
地が脈打ち 
樹が呼吸し
岩石が考え
次々に自他が入れ替わり
内と外との境界が消えていく
ぐぐぐ ぬぬぬぬ どどどどど
疲労の極にいるが魂魄は澄みオレの剣は凄まじい
叫びが叫びをのむ ぐぐぐ ぬぬぬぬ どどどどど
斬る叫び斬られる叫びが共鳴する 南無地獄大菩薩
南無地獄大菩薩南無地獄大菩薩南無地獄大菩薩南無地獄大菩薩>
敵も味方も我も彼も善も悪も天も地も修羅も餓鬼も地獄もひとつ
踏み込む斬る躱す斬る踏み込む斬る躱す斬る死も生もひとつの営み
身体のまんなかにいのちの通路がひらかれ
身体が天地のとんねるになりついに自由がくるのかついに無限がくるのか
それがオレなのか 天地につらなるオレの生の証しなのか
死のとなりの生のきらめきなのか オレがオレになるのか

かなしみは力に 
いかりは智慧に 
言葉はいのちに導かるべし

武蔵は
次をみる>
一人をみつめる 
向かい合う 
自らを
解き放つ 
今に突き放す
今のiを生きる 
生死の間を生きる 
一生を一瞬に凝縮する
七〇の生をともに生きる 
次の
点に向う
生の獲物に向う>
武蔵が武蔵になるために
武蔵が次の武蔵になるために

疲れている
意識が途切れそうになる
横になろうか
眠ろうか
しょうがない
起きていようか
もう少し斬ろうか
もう少し歩こうか
もう少し生きようか
*「詩風」より
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円空


彫っている
なにが
出て
来るのか
わからない
なぜ
彫っているのか
意識してない
ただオレを呼んでいる
暗闇の力を
押し返している
木の奥に
護法神がいる
手招ぎしている
叩き割る
断面に並ぶ
生の凹凸
歪み虫食い木目のながれ
生が生にふれる
躊躇はない
さらに
鉈を振う
輪郭を引出す
目を刻む
口元を撥ねあげる
美しく見せるための一刀もあってはならない
仏らしく見せる一切の手立てがあってはならない
彫らねばならぬことを彫ることの必要のみに応じて彫るだけだ

微笑がひとつ
浮かんで
消えた
もう過ぎたことだ
もの言わぬ
美濃のまつばり子が* *私生児
故郷を捨てたのだ
浄土門を
叩いた
泰澄行基の
山岳修験道の苦行に
活路を求めた
欣求浄土厭離穢土
哀しみなら閉じこめた
言葉など切り捨てた
空しさだけを見つめていた
空の下
一所不住
無言で歩く破れ袈裟
茫々のかぶら髪
埃まみれ垢だらけ
眼光のみ異様に光らせ
闇が深ければどこまでも闇を行き
突き当たりのない闇にむかって跳躍しなければならない
命をつなぐのは真っ暗闇のなかでいい自分が光になればいい
この現実をそのまま奇蹟に合一させることを唯一の情熱にすればいい

だが
その日
行基仏をみたのだ
息を呑んだ
鑿をもって窟に籠った
八面荒神像を彫った
七日七夜目に
天が割れた
何なのだ
一彫りごとに
見知らぬ歓びが動くではないか
子どもが歓ぶのは水たまりがあるからではない
身内にある歓びが水に触れて歓びになって溢れてくるだけだ
繰り返し繰り返し木のいのちに触れるうちに
あの物言わぬまつばり子のいのちが躍りでたのだ
彫るたびに閉じ込めていた歓びが堰を切って溢れだしたのだ
一つの生が木の仏と出会って涯しない生の全体とつながったのだ
円空は生涯十二万体造仏を発願した
中国四国奈良関東奥州津軽蝦夷松前
歓びを生きる歓びを伝える命がけの歩行へ乞食流浪の旅に出た


世界は凍てついていた
未明の山も川も原も家も雪に埋まっていた
不眠のままこの日七体目の地母神像にとり組んでいた
煩悩即菩提煩悩即菩提
吐く息が凍っていた
手は硬直していた
足は萎えていた
全身は激痛に喘いでいた
だが精神には歓喜が漲っていた
叩く
切る
削る
ときに
唸り
笑い
叫ぶ
悲痛は悲痛のまま
憤怒は憤怒のまま
絶望は絶望のまま
鬼の心も歓びに代えるのか
一寸彫って
一寸の地獄
一寸彫って
一寸の浄土
地獄があるから浄土があるのか
それは一つの世界の両面なのか
南無地獄大菩薩南無地獄大菩薩
オレは目覚めたまま眠るねむったまま彫る
目を開けたまま原始に還るオレの原始が彫りつづける
そのとき天地宇宙は鼻先にある
動いているのは
鬼の手か
仏の手か
オレの手か
彫っているのか
彫らされているのか
見届けなければならない
彫っているとき孤独ではない
彫ることで世界と結ばれている
救う人と救われる人の数は一致する
十二万体仏を造って一人救えば救われる
救われなければ救われないことで救われる
彫ることは生きること生きる歓びを伝えること
彫りつづける限り生きる歓びが涸れることはない
夜が明けた


そして
円空は
消息を絶った
水を断ち
五穀を断ち
弥勒を彫って
行の階段を上がり
元禄八年七月十五日
歓喜のまま
即身仏へ入定した


2012/1/31渋谷
プラネタリュウム宇宙
歓喜の円空が
彫っている
蒼穹を飛行している
無数の微笑仏も従っている
五十六億七千万年の弥勒の虚空に向っている
奇妙な声が規則的に反復される
モンゴル族のホーミーか
キースジャレットの悶絶か
歓喜の洩れ声なのか
円空の手は
荒々しく繊細に
リズムカルに
地を空を星を素材に
彫っている
夜空を見上げている君のため
彫りつづけている
あたらしい命の星座を造っている
突然
被写体がゆれる
ズームする
よれよれの僧衣の背中を
カメラが捉える
背中が崩れる
その手の先で
ギロリ
目をあける
天空いっぱいに
護法神が目をあける
歓喜の円空が目をあける
場内の観客が
息をのむ
あふう


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◆詩誌「詩風」より

あらかみさんぞうの詩は、主として詩誌「詩風」、詩集「暗夜飛行」「悩むひと」などによる。
さらに希望があれば、E-mail; sanzonouta@gmail.com へ。